米国けんきゅうにっき

はじめまして!2001年に日本を飛び出し米国へ。研究分野は化学でしたが、2005年のはじめに職場を東海岸から山の中へ移し、その際に研究分野も大きく変えました。そして2010年に結婚とグリーンカード取得。さらにさらに2011年夏に再び1800マイルを東に向かい、新天地、ミシガンに生活の場を移しました。2016年夏に仕事の都合でテネシーに引っ越しました。クルマ関係の仕事ですが、未だに合間を見ては投稿論文の準備をしています。まあ、せっかくの貴重(?)な人生なので、日々の出来事を残しておくことができれば幸いです。

オカルト

其は永久に横たわる死者にあらねど...

 引き続き冥王星の話。


 英語版からたどると冥王星の地形の説明のwikiに辿れるわけだが、その中でこれまで"The Whale"という暗い部分の説明(日本でもハート型の地形とともにクジラの尾っぽみたいに紹介されていた。そこのニックネームが"Cthulhu"となっているじゃない!


 最初、スペルを見たとき、何かの間違いかと思ったんだが、正しいらしい。Cthulhuっていうのはアメリカのホラー作家のH. P. Lovecraftが創作したある神性の一柱。日本語だと「クトゥルー」がもっともポピュラーな発音だ。


 ラヴクラフトと彼の弟子や友人が書き起こした一連の創作群(クトゥルー神話体系)をワタシはよく愛読していたんだが、こんなところでお目にかかるとは思っても見ませんでした。New Horizonsのチームの誰かが付けたらしく、たぶん国際天文学連合(IAU)に正式登録されるだろうとのこと。


 誰が考えたんだろうか、最果ての地にある漆黒の模様には確かにふさわしいニックネームかも。こっちの本屋でもラヴクラフトの小説はフツーに置いてあるから、彼の小説は日本でのそれよりはるかに身近なのかもしれない。

オカルトに垣間見られる何、このラノベ展開!?

 もともとだったが、最近よくオカルト系の話を読む。まあ某匿名掲示板のオカルト板の書き込みを中心に蒐集されたサイト(いわゆるまとめサイト)を巡回するカンジだ。まあこのブログにもオカルトのカテゴリーがあるし。そんな中、最近のお気に入りは”師匠シリーズ”である。まあいわゆるラノベみたいなんだけど、それのオカルト版といえばイメージできるだろうか?


 語り部(ウニ氏というらしい)が大学で出会った霊感体質の男の先輩(このヒトを師匠と呼んでいるので、師匠シリーズ)と繰り広げるオカルト三昧のお話である。まあいろいろと怖いオカルト系の話が紹介されているわけであるが、この師匠もまたヒトならざるものに対してかなり不遜な態度で挑んでいるかんじである。まあ現在の語り部のウニ氏が発表している内容によれば、この師匠は失踪してしまったそうである。


 さてなぜラノベみたいなのかというとだね、この師匠シリーズ、語り部のウニ氏と師匠以外の登場人物はほとんど女性なのである。そうラヴこめ王道のハー○ムものである。師匠の師匠というヒト(加奈子さんという)や師匠の彼女(倉野木綾さん)、京介(男みたいなHNだが女性として描写されている)や音響(これもHNだがゴスロリ系ファッションで身を固めた女子高生として描写)みたいに、妙に女性が多い。ウニ氏の京介への感情とか音響とウニ氏の関係とかなんて、なんかちょっとすっぱいらぶこめだな。


 全体としてウニ氏が体験した話を発表しているとしているが、実話系というよりは物語系だ。ところどころ体験談もちりばめられているんだろうけれど。主に師匠とともに体験するオカルト現象とかが中心。師匠は(彼なりの)理論武装をしてオカルトに対抗している。これはたぶん彼の最終的な目標が加奈子さんに再び会いたいという願望だからなのか、ちょっと自暴自棄にもみえる。だが師匠も気丈に振舞ってはいるけど徐々に精神が蝕まれていくようだ。まあSSが時系列で発表されていないので、一読してはわかりにくいだろうけど。


 結局、失踪してしまった師匠なんだが、その後の彼の足取りはわからないらしい。上にも書いたように師匠は加奈子さんの跡を追いかけ続けていたような描写がところどころにあるので、失踪もその辺と関連しているのだろう。まあ怖い話が苦手なひとには薦めないが、それなりに楽しめるということで。

夏の夜のちょっとした’オカルト(その6)

 週末は実験をしてひさしぶりに完徹になった。こんなのはいつ以来だろう?ついでに月曜日からタンパク質の精製を予定していたので、日曜日に下準備となり、なかなか忙しい週末を過ごしたのであった。

 さていちれんの”ベンガラ伝説”だが、今回でおしまいである。もし初めてココを訪れた方がおられたらば、このリンクから読んでほしい。




 畑山という苗字が、叔母の旧姓だということは以前書きました。畑山さんと叔母の関係をそのとき追及するべきだったのですが、B、C、Dの三氏の取材を優先させてしまいました。休み明けの21日、わたしは東京駅八重洲地下街のNTTのサービスセンターに向かいました。叔母の実家とは疎遠とも書きましたが、叔母の家族構成のことは良く知っていました。それには理由があります。
 叔母の実家は諏訪で魚屋をやっていました。兄が二人いて、長男は信州大学を出て医者に、次男は夜学から一橋に進学して公認会計士になりました。そんな兄弟のことを、母が、よく「魚屋の子供が、医者と会計士」になったと話すので覚えているのです(無神経な母は、叔母に面と向かって、この言葉を発するので、とうとう叔母は母と不仲なままでした)。次男はいざ知らず、長兄は諏訪で開業しているのではあるまいか。そう思い、わたしは諏訪の畑山という医者と連絡をとろうと思ったのです。結果はビンゴ。二件目でわたしは、叔母の兄を探しあてました。
 畑山医師は、息子にまかせ、隠居中の身とか。突然の電話にも丁寧に応対して下さいました。

以下、畑山医師の話です。
 「ベンガラ」などというもの(わたしが目撃した人のようなもの)には、全く心当たりはない。どうして妹がそんな話をしたのかも分らない。「赤蛙」の神事は知っているが、人柱とかそんな物騒なものではない。Bという人物は信用できるのか(そう言われて、わたしもそろそろ、Bという人が大嘘付きだったのではないかと思えてきました)? ただし、紅殻とドイツの秘密兵器に関しては思い当たることがある。
 わたしは、終戦後、信州大学で予防医学の研究をしていた。民間療法のそれも迷信のようなものから、近代医学に移行させ、集団検診を実現させるのが目的だった。そうした活動をしていたとき、紅殻を用いた強体術というものを行っているものが何人も居た。体に紅殻を塗り、壁に体をぶつけて鍛えると言うもので、それが昂じると、大木や岩に体当たりするらしい。打撲傷、骨折ならまだいいのだが、毛細血管が分断され、血尿、それが凝固して、腎不全を起こしているものまでいた。そして、この無茶な強体術の根拠は、終戦間際ドイツから伝えられたと言うものだった。彼らの取材を続け、発信源を突きとめんとして、わたしは、ついにU中将という軍人にいきあたった。その当時、戦犯として獄にあったが、その名前はよく知っていた。わたしは教授の手を借りるなどして、ついにU中将の側近だったFという人物をつきとめた。
 Fは終戦間際、牛島辰熊などと共に、東条英機暗殺計画に連座した容疑で投獄されていたため、戦犯を免れていた。Fによれば「強体術」は、不死身の軍人を造ろうとしたU中将が、ゲッベルスのラストバタリオンの計画から思い立ったもので、実際医学的考証はドイツからもたらされたものだということだった。それは、漢方及び中国武術の秘伝を、近代医学的に研究した成果だった。中国武術に「鉄砂掌」という錬功法がある。具体的には、酸化鉄を掌に塗り込め、砂袋を打撃して、鉄より強固な拳を作り上げるという技術だった。本当の「赤蛙」とは、その錬功方から造られた不死身の兵士である。だからあなた(わたし=筆者)が聞いた人柱の話なんて、全くの嘘だろう。また、Fによれば、巷間行われている「紅殻」の強体術も、まったくの出鱈目で、紅殻を用いるということのみ当たってはいるが、あんな方法では、到底不死身の肉体など得られないということだった。わたしは半信半疑で、そんなこと(不死身になること)が可能なのか問うた。Fは自信満々という表情で答えた。
 「間違い無い。ドイツで、メンゲレが人体実験を繰り返した末、開発した方法だ」
 メンゲレ・・・。ヨーゼフ・メンゲレ博士のことか。わたしは背筋が寒くなるのを覚えた。

 U中将は、皇居・大本営を松代に移転し、そこで本土決戦を迎えることを計画していました。「赤蛙」の軍団は、戦車に対して白兵戦で応じられる、無敵の兵団となる予定でした。
 しかし、そうはならなかった。「赤蛙」は完成しましたが、それはついに、天皇の赤子たることはなかったからです。
 メンゲレ博士が繰り返した実験の話は、多分他のスレにあるかと思いますので、ここでは書きません(畑山医師が、F氏からの伝聞として話してくれたことですし、F氏も実際に立ち会ったわけではないようです)。
 結論から述べれば、「赤蛙」は、人格が崩壊していて、戦争には使えなかったということなのです。目の前の危険に反応する、本能的に身を守って、確実に敵を倒す。それは完璧にできるのですが、集団として、敵を攻撃するとかという、システィマティックなことは全く出来ない。つまりは、虎とかライオンの集団のようなものだった。そうした「赤蛙」に脳手術を施して、軍人として造り直す作業をしていたのが、帝大医学部から引き抜かれた天才的な医師、畑山医師だった。畑山医師は、その名をF氏から聞いておどろきました。
「君の縁者か?」
「従兄です」
「では、畑山くんが自ら赤蛙になったことは当然知っているね」
 わたしも驚きましたが、畑山医師のおどろきは並大抵のものではなかったでしょう。



 
 とうとうFという人物から畑山医学博士という人物にたどり着いた。そしてその怪人物は筆者の遠縁の畑山医師の従兄なのだ。

 昨夜家に帰ると、畑山医師から手紙がきていました。手紙の内容はさることながら、一葉の写真が同封されていたのです。畑山医博の写真でした(なにか畑山さんと言う人が、だんだん実在の人物ではないような気がしてきてしまい。写真をリクエストしたのです)。その写真を見て・・・そのことは最後に書きます。
 畑山医師の話、Fとの対話と言う形式で書いている時間もないので、結論から書きます。
 終戦直前、ドイツの医学技術と中国武術の秘伝を組み合わせることによる不死身の兵士造りは、脳障害という副作用で頓挫しかけた。そこで招聘されたのが、東京帝国大学脳神経科教室の畑山医学博士だった。いかなる手法を用いたか、詳細は不明だが、畑山医学博士は、その問題を解決し、ついには自らが実験台となって、赤蛙となることを志願した。それは美しい犠牲精神を発揮したのでは決してなく、畑山博士は、完全に自己が不老不死の鉄人になるという確信を持って、のぞんだのだ。
 従兄は、永遠の時間と鋼鉄の肉体を手に入れたのだと、畑山博医師は確信しているようです。
 畑山博士は実験の成功とともに、行方不明となり、すぐに終戦が訪れました。ふらりと帰ってくる事もなく、以来行方はようとして分からない。また肝心な資料は全て畑山博士が持ち去り、残りはU(内田ではありません)中将が全て処分した。関係者の中の何人かが、不老不死にあこがれ、酸化鉄による肉体改造を試みたが、成功するものはなかった。畑山医師が大学時代出会ったのは、こういった人々の流れをひく人たちなのだろう。しかし、数年後、思わぬ展開があった。石井部隊(831部隊)の問題だった。戦時中の非人道的行為が糾弾され、その手が諏訪にまで伸びてきたのだ。ナチスドイツから持ち帰った旧陸軍の研究と言うのは、余りにも危険な存在だった。そこでこの実行者たちは、迷彩をはったのである。曰く「赤蛙の神事」これは太古より諏訪神社に伝えられた神事であり、古代は丹を用いて生贄を捧げたものだが、近代になって紅殻を用いその形を真似るだけになった。生贄ではなく人形を人柱のように埋めているのだ。
 わたしが見た「紅殻」というのは、この架空の風習の形骸化した名残だったのでしょう。遮光土偶のような顔と書きましたが、あれは下手糞な蛙の顔だったのです。父も叔父も気楽な気分で紅殻を製作したのでしょう。今年は出来がいいというのは、余所者である父と叔父に対する地元の人間のお世辞とも考えられます。叔母は太古の生贄云々の話を信じていたのでしょう。「昔は・・・酷いこと・・・」というのは、20数年前のことではなく。大昔という意味だったのだと思います。先輩からのメイルにもこのことが書かれていました。先輩の一族では、ごまかしで紅殻人形を作ったりした行為を恥じて「なかったこと」にしたそうです。しかしボケていた(先輩の言葉です)祖父さんは、物置に残っていた紅殻を見つけ、昔に戻ってベンガラを作り出してしまったのです。恍惚の人となっていた祖父さんは、しかし、ベンガラを思い出せず、紅殻から連想したのは(海老の)鬼殻だったのです。隣人などから、昔の行為を話題にされたときは、神社のお飾りを作っていたとごまかしたそうです。
 拍子抜けでしょうか?
 これが、わたしのたどり着いた真実です。
 写真の話をします。写真に写っていた畑山博士は、紛うかたなく、Dさんの別れたご主人でした。
 他人の空似? あるいはそうかも知れません。わたしは元ご主人には2,3回しか会った事はないし、出自に関してもまったく知りません。迷惑な言いがかりかも知れません。しかし、他人の空似では片付けられないくらいよく似ているのです。ドイツとの因縁を考えると、なにかの思惑があって、Dさんに近づいたと思えてならないのです。90歳を超えているはずの畑山博士は、当時とまったく同じ容貌で、永遠の時間を生きている・・・
 これで、話は全て終わりです。信じていあただけますか? でしたら、この件に関しては、これ以上、詮索、追及しないようにお願いします。
 ネタだと思いの方、もうわたしは、このスレを手放します。ご自由に続きのストーリーをお書きください。
 長い間おつきあいいただいて、お疲れ様AND有り難うございました。
 ちゃんと、結末まで書きました。これでも、まだ、まうとかまー言われるのでしょうかね。
 では、またいつか。







 さて、いかがであったろうか?個人的には、未だに畑山医学博士が歴史の陰で生きているというのが、ゾクゾクきたね~。なんだかロマン(?)があるじゃな~い。ただこの怪人物の目的がなんなのかは不気味ではあるが......(自分の研究が正しいことを証明するためとかゆーのはナシよ)

夏の夜のちょっとしたオカルト(その5)

このリンクのエントリから読んでね!!

 ここでD氏のお話なのだが、彼女の話はこれまで一連のベンガラの内容とは異なる。ただこのオカルト談の結末に重要な内容であるのも確かだ......

 軽井沢の別荘は中軽井沢から登った、故石の森章太郎さんの別荘のとなりにあります(女房の実家の別荘です)。石の森先生がご存命のころは、うちの子供も、色紙もらったり花火もらったり、いろいろ可愛がってもっらったものですが・・・
 Dさんには中軽井沢駅前の蕎麦屋で会いました。Dさんは若い女性です。

Dさんのことです。Dさんは実は紅殻の証言者ではありません。
 Dさんは28,9歳で、イギリス生まれ。高校卒業後日本に帰り、上智大学外国語学部に入学、そのときモデルをしていて、某飲料メーカーのCMに出演。確かフランスロケに行ったんだと思います。そのときのスタッフの働きぶりに感動して、卒業後はその代理店に就職。総合職で営業をしています。一時はアイドル的存在で、一部のフリースタッフなど「Dさんが営業じゃなきゃ引き受けない」なんてわがままをいったものでした。ところが4年前惜しまれつつ同級生と結婚。わたしも(仕事仲間です)がっかりしたものでした。美人で頭が良くて、フランクで大酒のみで付き合いがいいという、理想的な女性でしたから。そのDさんに久しぶりに会ったのが、11日の夜の有楽町線です。「来週あたり呑みにいこうよ」と向こうからおさそいがあったのですが「残念、おれ軽井沢なんだ」と答えた次第です。ところが偶然にも、Dさんも軽井沢なんだとか。中軽の駅からチャリで5分くらいとのこと。わたしの(女房の実家の)別荘は北軽ですから、それは好都合ということで、蕎麦屋での逢い引きを約束したのです。18日金曜日、仕事で帰ると言う口実で中軽の駅まで送らせ(その後、家族はメルシャンの工場見学)、蕎麦屋で昼酒をやりながら、Dさんを待ったのです。期待半分でしたが、Dさんは定刻に登場(基本的にイギリス人なので、極めてパンクチュアルです)。まずビールで旧交を温めました。そのときDさんが、とんでもないことを言ったのです。
 「このたび、4年ぶりに旧姓にもどりました
 先月離婚したとのことです。こうなると、わたしみたいに小心な男はもう駄目ですね。当然、亭主も一緒に来てると思ったからこそ、気楽に誘ったのです。これじゃあ、本当の逢い引きだ。しかもDさんは、いつもよりピッチが早い。不倫なんて言葉が頭に浮かび(わたしが?)、とにかく、この場のお茶をにごそうと、わたしは「紅殻」の話を始めました(相応しい話題かどうかなんてどうでもいい、これなら数時間は時間が稼げます)。Dさんはクレバーな人なので、わたしの動揺を察知したようで、興味津々という表情で、わたしの話をきいてくれました。

さて、Dさんは一通りわたしの話を聞いてくれたあとで「その話聞いたことがある」と言ったのです。心やさしいDさんのリップサービス(という言葉を頭に浮かべただけで、赤面してしまう純な中年です)とも思われましたが、一応うかがうことにしました。
 Dさんによればそれは「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」という映画と「ゲッベルスの贈り物」というミステリーで、そこに終戦間際に不死身の兵士を造るエピソードがあったと言うのです。わたしは午後一の切符が取れていると嘘をついて、Dさんと別れ、逃げるように中軽の駅に去りました(小心者です)。一つだけグリーン車の席がとれたので、わたしはすぐに東京にもどりました(だから本当は18日には戻っていたのです。自宅にPCがないことは既に述べました)。その足で図書館に向かい、Dさんの言ったことを確認しようとしました。資料は実は簡単に見つかりました。「バラゴン」のほうは、フランケンシュタイン(の怪物)の心臓を、Uボートでドイツから持ちかえり、そこから不死身の兵士を創り出そうという荒唐無稽な話。「ゲッベルス」のほうも、ゲッベルスのアイデアによる無敵の軍隊の構想を、Uボートで持ちかえる途中、終戦になってしまうというお話でした(ただし、この軍隊が「物理的に無敵」というものではないというとんでもないオチがあるのですが、フィクションであることに変わりはありません)。
 なんだ。まるで関係のない話に、えんえん突き合わせたのかという怨嗟の声が聞こえるような気がしますが、実はとんでもない偶然の一致だったのです。



 さてまったく関係ない内容の様ではあるが......と、このあと書き手から以下の様な書き込みが入る。

これが最後の書き込みになります(理由は後で書きます)。
 確かにいろいろな方から指摘があったように、わたしは個人情報を書きすぎました。Dさんや畑山医師に迷惑をかけかねません。紅殻が、なんなのかもほぼ分かりました。ですから『逃げ』でなくて『完結』だと思ってください。
 ●Bさんについての情報 信濃毎日新聞(また実名ですが)の某氏と連絡を取りました。だからこれは、信毎の公式見解ではなくて、某氏の個人的な意見です。
 Bさんは虚言癖のある札付きの人物だそうです。わたしはA先生からの紹介だったので、頭から信じていたのですが。オーム真理教の松本サリン事件のときには、すぐに「松代大本営に秘匿されていた旧陸軍の毒ガス」というデマ情報を撒き、初動を混乱させた人物とか。諏訪神社とも無関係。奥さんも宝塚ではないそうです。しかし「生きてるのは、畑山さんくらいだろうな」という言葉は、実は真実だったのです(後述)。
 ●Cのこと Cさんはご高齢かつ大分酔っていらっしゃったようで、事実の誤認、勘違いもいくらかあったようです。
 ●Dさんのこと ほんとうに書きすぎました。すみません。と言いながら、実はわざと書いていなかったことがあるのです。偶然の一致というのは、Dさんが教えてくれた2つのフィクションのことではないのです。Dさんが英国生まれの英国育ちだと書きました。お父さんは外交官です。祖父さん、曽祖父さんは英国びいきの帝国海軍の軍人でした。曽祖父さんは英国の日本大使館付きの武官。祖父さんは技術将校でした。もうお分かりですね?戦時中ドイツから機密を持ち帰った方の一人です。「赤蛙」じゃありません、念のため。Dさんについては、もっととんでもない偶然の一致があり、それでわたしは書き込みをやめようと決心したわけですが、それについては後で書きます。



 さて物語は収束していく。

夏の夜のちょっとしたオカルト(その4)

3つ前のエントリから読んでね!

 B氏から聞いた”ベンガラ”の話はとんでもない展開となってきた。かつて諏訪神社の副祝の一族であったB氏は旧陸軍が裏で計画していた「神ながら(かんながら)赤子還り」の神事を目撃していたのだ。つまり、国民一人一人が、神懸かり、古代の天皇の赤子、すなわち不死人に還る(蛙)というのだ。そして6人の若者がこの神事、いや人身御供に選ばれ、5人までが”赤子”となるのだが、この神事に疑問をもった1人、畑山はこの神事から逃走する。しかしながら、この畑山も最後には死体で見つかるのだが、それはどうやら別人だったらしい。それでは、この神事を施された”赤子”はいったい誰なのか?

Cさんの話
 Cさんは、諏訪国民学校の配属将校だった人で、畑山さんが脱走したとき山狩りに駆り出され、例の死体を発見した一人です。大変なお酒のみで、長野市在住。17日に川中島町の「鯨屋」という呑み屋で話をうかがいました。
 「赤蛙の神事」のことは薄々知ってはいた。その神事を汚すものがいて、スパイの疑いありということで、畑山捜索に加わった。死体は山のふもとで簡単に見つかった。腐乱死体に朱肉を塗りたくったような状況で、身元の確認も難しいと思えたが、軍部から検視必要無しという連絡が入り、そのまま発見地ちかくに埋められた(このあたりBさんの話とは多少異なりますが、Cさんは当事者でしたから、こちらが近いと思われます)。如何に戦時下とは言え、警察はないがしろにされたわけだが、U中将の力か、畑山さんの死は闇に葬られた。
 Cさんの話のポイントは、昭和23~24年ころ、長野市で発生した一家心中事件にあった。病苦の父親かかえた寡婦が、父親と自分の子供3人を鉈で殴り殺し、自ら首を吊るという悲惨な事件だった。Cさんは町内会の役員をしていた関係で、この家を訪れ、第一発見者になったわけだが、この家の中に、5つの死体以外に、2体いわゆる、わたしが見た「紅殻」、Bさんが見た赤い死体のようなものも同時に発見したのだった。
2つの不審な遺体は、警察に運ばれ司法解剖された。当時(今も?)長野県には監察医がいなかったので、解剖は信州大学の法医学教室で行われた。遺体は2つとも男性で、甲は30代~40代、乙はかなりの高齢者。死因は二人とも薬物中毒による肝臓壊死で、血液中から大量の水銀が見つかった。甲乙ともに栄養状態は極めて劣悪で、胃の中はほとんど空という状態だった。また両手足には長期にわたり緊縛されていたと思われる、皮膚の擦過傷および糜爛(びらん)が見られた。特記すべきは、両遺体がベンガラで赤く染められていたことだった。そのためか腐敗の進行は遅く、屍蝋もしくはミイラといった状態だった。遺体は経帷子様の白装束を身に纏っていた。そして、この2体は、床の間に安置され、某かの宗教的儀式に使われていた様子だった。第一発見者であるCさんは、直感的に、老父の病気快気を願って置かれた供物であろうと思ったと言う。
 結局二人の身元は分らずじまいで、検察は容疑者(娘)死亡、被害者不詳のまま殺人容疑で告訴した。
 Cさんの記憶では、そのとき県警の捜査一課の部長刑事が、「赤蛙」の話をして、多分、父親の病気が治るように、娘が生け贄を作ったのだという話をしたということだった。今ならカルト宗教ということで、マスコミが大騒ぎしたろうとCさんは言った。

今までの書き込みを再チェックしました「松本」を含め、誤字、脱字、書き忘れ多数ありました。少しフォローさせて下さい。

 *叔母の旧姓が「畑山」であること。諏訪には多い姓(しつこいようですが、実際は別の姓です)とか。しかし、畑山さんとの繋がりはありました。口述します。
 *蝦殻の件。先輩からのメイルが入っていました。これも後で書きます。


 この終戦後に起こった不可思議な一家心中事件は戦時中に秘密裏に行われていたという、”神ながら(かんながら)赤子還り”と様相が酷似していた。ここに畑山と間違われた遺体の正体の糸口があると思い、C氏はこの一家心中事件の担当刑事に尋ねたのだった。

Cさんの話(続き)
 Cさんが不思議に思ったのは、そのデカ長の顔に見覚えがなかったことでした。畑山さんの捜索に加わっていたなら、知らないはずはないのです。「赤蛙」の件も巡査部長が知っているようなことではないからです。
 Cさんは、刑事に詰問した。一介の警官が、なんで「赤蛙」について知っているのか? 刑事の答えは至極簡単だった。それは太古から続く諏訪神社の神事だ。むろん人間を生け贄にするようなことは、もう何百年も行われていないだろうが、戦時中必勝を祈って、人間を生け贄にしたような事件もあったのだ。畑山さんのことかと、Cさんは聞いた。刑事は言下に否定した。地元の分限者が、浮浪者を使って「赤蛙」を造る事件が発生して、それを担当したということだった。Cさんはふと思い当たって聞いた。犠牲者は一人ですか? 一人や二人じゃないだろうと刑事は答えた。救国を願う分限者は、金をばらまいて犠牲者を集めて、「赤蛙」を大量に生産していたようだ。それを聞いて、Cさんは、畑山さんの死体と間違えたものの正体が分ったと思ったそうだ。しかし、そんな事件が起こりながら、軍部はなぜ知らなかったのだろう。Cさんの疑問に刑事は笑って答えた。報告しなかったからさ。特に報告しろとはいわれなかった。最後の犠牲者らしき人物が見つかったという報告があったときも、軍からそのまま埋めよ指示がきて、やはり報告する必要はなかったのだと思った。
Cさんは、そのとき刑事に、旧陸軍が「赤蛙の神事」を行っていたことを説明しました。しかし、刑事は半信半疑の様子だったそうです。刑事の言によれば、国家的な機密にするようなことじゃなくて(むろん違法だけど)、隠れてやってるやつはいただろうということなのです。CさんはU中将がその件にからんでいたことは知りませんでしたから、戦時中の事件は単なる勘違いっだったのかとも思ったそうです(もっとも、わたしのこの件に関する知識も総てBさんの話のから得たものです。それが嘘でないと言う確信はありません。U中将の自殺の件といい、奥さんが宝塚といい、疑わしいといえば、本当に疑わしいのですが・・・。なおU中将と言う参謀は実在していました。故人ですが、死因は今のところ調べがついていません)。
 Cさんはご高齢のため、ここまで聞いて取材は打ち切りになりました(お孫さんが迎えにきました)。わたしはタクシーでホテルまでもどり、翌日軽井沢にもどりました。次の取材相手とは、軽井沢で会う約束をしていたのです。



 畑山と間違われた遺体はどうやら在野の救国を願う資産家が執り行った神事だったらしい......ここにきて唯一、”神ながら赤子還り”の神事から生き延びた青年、畑山がナゼ生還したのか、そして代替の遺体は誰だったのかが、おぼろげにわかってきた。

 しかし、この出来事の不気味さは別のところにあったのだ!!次のエントリは4人目の証言者、Dさんについてだ。
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