米国けんきゅうにっき

はじめまして!2001年に日本を飛び出し米国へ。研究分野は化学でしたが、2005年のはじめに職場を東海岸から山の中へ移し、その際に研究分野も大きく変えました。そして2010年に結婚とグリーンカード取得。さらにさらに2011年夏に再び1800マイルを東に向かい、新天地、ミシガンに生活の場を移しました。2016年夏に仕事の都合でテネシーに引っ越しました。クルマ関係の仕事ですが、未だに合間を見ては投稿論文の準備をしています。まあ、せっかくの貴重(?)な人生なので、日々の出来事を残しておくことができれば幸いです。

西部開拓史

フリーメイソンリー

 昨日は同じデパートメントの日本人とともにテイスティングルームに行って来た。これは今週はじめから約束していたのだが、おとといたまたま、ミクシィを介して同じ大学で働いている方からコンタクトがあり、彼女もその飲み会に同席することとなったのだ。でも明るいウチからのビールはいいね~(^^)

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 今日はちょっとフリーメイソンリーについてふれよう。というのは先週の日曜日に訪れたPonyというゴーストタウンにもメイソンのロッジがあったためだ。
 メイソンのロッジは、前回、Bannackに行ったときも存在していた。つまりフリーメイソンリーという団体は米国の開拓時代には普遍的に存在していたのだろう。
 さてフリーメイソンというと、あからさまに嫌悪感や胡散臭さを感じるヒトがいると思う。ワタシのなかでも言葉としての第一印象はそうであった。しかしこれだけ多くのロッジをモンタナだけでも見かけるとなると、その実体を知ることはちょっと重要な意味をもつように感じる。
 まず誰だかしらないが"フリーメイソン"という言葉にオカルティツクな印象を植え付けたモノがいたと思う。実際、秘密結社なので、そういう側面を感じさせる要素はあったと思う。しかし英語での"Secret Society"の意味は日本語の"秘密結社"という語ほどの強烈な意味合いはないらしい。秘密結社とは大別すると"入社的秘密結社”と“政治的秘密結社”という区分になるらしい。そしてフリーメイソンリー(団体としての呼称)は前者に属すとされ、どちらかといえば慈善団体の性格を強く表しているということだ。(後者は"KKK"のような悪名高い団体があげられる)

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 フリーメイソンリーの代表的な紋章はコンパスと直角定規の対で表現され、その中心に置かれた"G"の文字は幾何学(geometry)、栄光(glory)、あるいは神(God)の略号と説明されるそうだが決められた定義はないそうだ。実際に調べていけばわかると思うのだが、この"G"は元来、"Great Architect of the Universe"の頭文字から来ているとのことだ。そしてその略号、G.A.O.T.U.もまたかれらの象徴なのだそうである。
 もう一つ、オカルテックに騒がれる要素がある。米1ドル紙幣の裏側に描かれた頂点に目のあるピラミッドだ。俗にいう"ルシファーの目"なのだそうだが、正確には"万物を見通す目"である。このエントリを読んで読者がどう思うかは自由だと思うが、ここで大きく二つの意見がある。まずオカルティズムに彩られた意見、フリーメイソン(実際はイルミナティという組織)が世界の実効支配をするために暗躍しているというもの。そしてこの1ドル紙幣の裏のシンボルがそれの証左だということ。よく言われるのはフリーメイソンはユダヤ人の組織で、彼らは世界を掌握しようとしているとかであるが......
 もう一つは、フリーメイソンリーはただの入社的秘密結社であり互助団体としての性格が強く、(たとえば英国系と米国系などの)横のつながりはきわめて希薄であるというものだ。実際、金銭的な支援をするというのは中世のフリーメイソンリーでもしばしば行われていたそうだ。(音楽家として知らないものはいないと思われる、ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトもフリーメイソンで、ほかの会員にお金の無心をしていたとか。)この互助制度、新世界(アメリカのことね)では大いに助けられた人々がいたらしい。まあだからこんな田舎にもロッジがあるのだろう。

 さてどちらの議論を信じるかは自由である。とりあえず正反対の意見が掲載されているリンクでも貼っておくので御覧あれ。

フリーメイソンのシンボリズム

魔笛~世界を操る影の存在~

無法の時代

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  スキナーの酒場はサイラス・スキナーによってヤンキー平原と呼ばれる場所に建てられた。1862年のことである。この酒場は翌年には現在のこのバナックに移転したのである。
 常識を持ち合わせている人間ならばこんな場所に迷い込むことはまず無かったであろう。それほどここはもっとも危険で卑怯で情け容赦ない奴らがたむろする処であった。当時のバナックとバージニアシティは暗くなると、時には日が出ているときでさえ出歩くことができないくらい危険な場所であったのだ。ここでは撃鉄の音と殺しが日常茶飯事なのだ。

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 ジョージ・カーハートの死はまさにこの場所で起こった。ジョージ・バンフィールドとディク・サップがポーカーに興じていた夜のことである。バンフィールドには勝利の女神がついていたのだが、それには理由があった。イカサマをやっていたのだ。このイカサマがばれるやいなや、両者は酒場の中で弾が無くなるまで撃ち合った。そしてどの弾丸も両者には届かなかったのである。ef6f22b6.jpg

 この短いケンカでトードルという犬が撃たれていた。この犬の死に皆が悲しんでいると、今度はジョージ・カーハートが腹に撃たれているのが見つかったのだ。彼は恐ろしい激痛とともにまもなく死んだ。このようにこの酒場では銃撃や暴力が当たり前のように行われていた。一度弾丸が飛び交い始めるとまさにこの建物の隅で営んでいた床屋が危機に瀕することをまぬがれられないくらいにだ。1869年、無法の時代が終わりを告げると、この酒場は雑貨を扱う店となり、60年近く残ることになったのである。
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