もうずいぶん昔のことだ。修士論文を書くにあたりパソコンが必要になった。○工大の研究室ではAppleのMacintoshが主に使われていたので、自然と自分もMacがほしいと思っていた。当時、化学系の研究室でMacが使われていた理由はおそらくだがChem Drawというアプリケーションの存在が大きかったんだと思う。当時のWIndowsにはこれに匹敵する構造式作画ツールが無かったからね。ほかにもMicrosoftのWordはMac版じゃないと編集や絵の貼り付けが思ったようにできないとか、当時の指導教官たちは言っていたような気がする。ああ、あとPostScript対応のプリンタがMac対応のみとかもあるか。まあとにかくWindows(当時は3.1とか95/98)では代替にならないというのが周りのコンセンサスだった。
そういうわけでワタシの最初のPCはPower Macintosh 6100という機種。これまでのMacに搭載されていたMotorolaのMC68K系CPUを搭載するMacからIBM・Motorola・Appleの3社共同開発されていたPowerPCシリーズを搭載する初めてのPower Macintoshの一つだった。ワタシのMacはAVシリーズということで映像出力用の拡張カードがデフォルトで刺さっており最高解像度が当時としては高い機種(1152x870だとか)だったそうだ。載っていたOSは漢字Talk7.0系で後にMacOS8までアップグレードした記憶がある。
さて修論なんだが自宅ではこの6100の漢字Talk7上で走っていたMS Wordで書いていた(確か...)。ただこのOS、やたら不安定でしょっちゅう爆弾マークやらSadMacやらが出て苦労した記憶がある。研究室ではふる~いMacintosh SE/30というのを使って書いてたな。まあそれでも修論だったからね、なんとかだましだまし使って書き上げた。たしかその後、直ちに日本化学会の春季年会の準備もコレでやったな。
その後、博士3年間もこのMacにお世話になった。ただ研究室の指導教官がMacオタクだったので、研究室内のMacがどんどんアップグレードしていき、自宅のこのMacの性能も陳腐化してしまった。そのあたりでPowerPC G3とかいう当時としては強力なCPUが登場し、ワタシの6100用のPowerPC G3搭載拡張カードも発売されたので、これを機にG3カードを搭載した(リンク先はワタシのものではないが、基本的に同じコトをした)。これでD論に臨んだわけである。まあいろいろあったがD論提出も終わり、公聴会も済み、そして最終試験も終わり晴れてDを取った。
その後、最初に赴任したのが大分である。ここにはこの愛機のPower Macintosh 6100/G3を持っていき、これでデータ整理したり学会発表準備、論文作成をしてきた。大分には1年しか居なかったのでこのMacとは足かけ6年の付き合いであった。大分を辞して渡米するときにこの相棒は実家に置いてきたからね。それ以降、ワタシはWindowsユーザーとなったわけである。だから今のAppleのOSXについてはくわしく知らない。UNIXベースで作られたOSってくらいか?わかっているのは。まあ当時のMacOS系アプリをきれいさっぱり切り捨ててOSXにしたから、まったく未練がなかったんだよね。
それがワタシのMacの思い出である。ではワタシの相棒のMacは今はどーなっているかといえば、東京の実家にある。しかも修士のときに研究室で使っていたSE/30も廃棄するとか言ってたので、もらってきて修理して一時期使っていた。メモリ増設したり、ネットワークカードを秋葉で見つけてきたりしたし、アナログボードが壊れたので半田ごて握って修理したり、さらにはMacOSのアップグレードパスからも見放されてたので、NetBSDっていうUNIX互換をインストールしてファイルサーバーにしたりしてた(ここでネットワークの知識やUNIXコマンドなんかも覚えたな)。それもまだあるはずだ。
ワタシのコンピューターリテラシーを育んでくれた機体たちである。