米国けんきゅうにっき

はじめまして!2001年に日本を飛び出し米国へ。研究分野は化学でしたが、2005年のはじめに職場を東海岸から山の中へ移し、その際に研究分野も大きく変えました。そして2010年に結婚とグリーンカード取得。さらにさらに2011年夏に再び1800マイルを東に向かい、新天地、ミシガンに生活の場を移しました。2016年夏に仕事の都合でテネシーに引っ越しました。クルマ関係の仕事ですが、未だに合間を見ては投稿論文の準備をしています。まあ、せっかくの貴重(?)な人生なので、日々の出来事を残しておくことができれば幸いです。

2007年03月

都市伝説の誕生

 昨夜はアホみたいに遅くの帰宅になった。しかも11時まで飲まず食わずだ。帰ってから食事を摂ったので、就寝はずいぶんと遅くなったわけだが、今日はESR(電子スピン共鳴、分光分析法の一つ)の測定のため、カラダに鞭打ってでてくる。測定中に気がついたのだが、ワタシの試料、今回の測定温度(77ケルビン、摂氏-196℃)では見たい信号を得ることができないのだ。そんなワケでこの測定は次回に液体ヘリウム温度(4-10ケルビン)で行うことに。


 ネットを彷徨っているとたまに不可解な出来事に相まみえることがある。今回は石川地震においての出来事。NHKのアナが中能登町役場へ電話インタビューをおこなった。



 話の流れは以下の様。

苗山さんという人が電話に出る
  ↓
アナウンサーと話している。
  ↓
地震の影響で交換機が切り替わった
または局内電話の回線がとある理由で自称・苗山さんに切り替わった。
  ↓
NHKアナ「あ、もしもし?あの、
      電 話 の 方 変 わ ら れ ま し た で す か ?」
自称・苗山さん「いえ代わっておりません。」
  ↓
自称・苗山さん本人は電話をずっとかけていて急に変わっていた為、自称・苗山さん本人は電話から離れてておらずに「いえ代わっておりません。」と発言する。
 ↓
ここまでは単なる放送事故!
 ↓
しかし!!役場に電凸した人がいたけど、「役場に苗山という職員はおりませんが...」 って言われた。という情報が手に入る!!
 ↓
では最初に存在していたはずの苗山さんは誰?
 ↓
NHKがもしかしたら現地の人に電話をかけていたのではなく、やらせで別の人間が放送に出ていた可能性も出てきたか?

 特に注意して聴いてもらいたいのが、声の大きな変化だ。上のYouTubeの1:07~あたりから

NHKアナ「あのー、怪我をされたり、ガラスが割れたり、壁が落ちてきたりというような状況はありましたか?」
苗山さん「今~のところは、まだはいっておりません、」
NHKアナ「それはないですか、」 苗山さん「はい」
NHKアナ「ただその停電になったとおっしゃいましたね?」 苗山さん「はい」
NHKアナ「今あの、そちらの中能登町役場は、庁舎内は停電になっていますか?」
苗山さん「いや、あの~、ここはなっておりません」 NHKアナ「あ、そうですか」 苗山さん「ええ」
苗山さん「それとですね、すぐ、そういう事態になれば、あの~、非常発電もありますので。
       それについては、もう~機能的には、あー、じ(不自然に途切れる)」
―沈黙―

NHKアナ「…もしもし?」
?「ハイッ?」←明らかに声質が違う!!!!????
NHKアナ「あっ、あのー…、えー、引き続き苗山さんでしょうか?」
自称・苗山さん「ハイッ?」←聞こえてるのに疑問系で質問に答えない
NHKアナ「あ、もしもし?あの、
      電 話 の 方 変 わ ら れ ま し た で す か ?」
自称・苗山さん「いえ代わっておりません」←早口3倍速
NHKアナ「あっ、あのー…、 苗 山 さ ん で す ね …?」←アナ、確認3回目
自称・苗山さん「・・・・・・」←答 え な い 

NHKアナ「あ、今も、信号機の停電などは確認…、あの、停電によって信号機が例えばあの…
    止まってたりというようなことはあるでしょうか?」←動揺しまくり
自称・苗山さん「ふきゅしております。復旧しております」←早口3倍速
NHKアナ「あ、復旧していますか…」



 ネット上では何らかの陰謀が働いていたというウワサがまことしやかにながれることに......そう後の苗山事件のハジマリである。

ヒトのキオク

 俳優の植木等さんが亡くなったそうだ。個人的には特に興味もなかったヒトなのだが、病名でちょっと気にとめた。"肺気腫"ということで、ワタシの父親と同じ病気を患っていたらしい。でも80歳というのはまあまあの年齢か。ご冥福をお祈りいたします。

 このような訃報を見るたびに思うことがある。あとどれだけの数の人間と知り合い、別れていくのだろうかと。そしてその中でどれだけのことをキオクしていけるのだろうか。

 ワタシにはこれまでの人生で3つの印象的な邂逅と別離がある。2つは別離、そして1つは出会いだ。2つの別離はいずれも死別。一人は中学生のころから仲の良かった友人、もう一人は父親だ。友人の方は本当に運が無かったというほかはなかったのだろう。高校に入学してすぐに、ほんの些細なこと(自転車で転倒)でその命を終えた。たぶんそれはワタシにとってはじめての親しいヒトの死であったと思う。それ以前にも父方および母方の祖父母の死には直面していたと思うが、この友人の死ほどのインパクトは無かった。そう、そのときがはじめての"死"というものの実感であったわけだ。

 もう一つの"死"である父親のものは、ある予感があった。これは上記でも触れた肺気腫は呼吸困難になることがよくあり、徐々に体力を削っていく。どのような病もヒトの意気を消沈させるものだが、この病は長いスパンでこれが起こるのだ。だからいずれは訪れるであろう"死"を知覚できる。ただやはり直接の肉親である父の死というのもは、予感があったとしても、覚悟があったとしても、そのインパクトは甚大だ。ワタシはそのときはじめて肉親の"死"を認識した。

 二つの死別はワタシの心の底にある決意を促した。絶対にこの世界で生き延びるということを。それは絶対に自身で命を絶つことはないということで、その先には生命というものの存在に対しての敬意に繋がっている。それと同時に"死"を凌駕したいという欲求もあり、これはワタシ自身、尊大だと思わざるを得ない。そんな混沌の感情がこの2つの死別には伴っていった。

 さて1つの出会いはもっと別の側面をもつ。これはある先輩との出会いだ。ワタシがもっとも尊敬しているその人格は、その母性からくるのかもしれないけれども、それ以上に昔、その先輩から発せられたコトバがワタシにとって思いがけないモノであった。それは普段の人からは想像もできないような弱々しいもの。同時にヒトは完璧で在る必要がないということを知覚した。けれどもだからといって、すぐに諦めるのはよくないことだが、精一杯頑張ってどうしようもなくなったらちょっとくらい弱音を吐いてもいいんだよ、ということ。それを他人が受け止めることは出来ないけれども、ただ吐き出すだけでもココロは軽くなる。後は本人次第。そんなことを何となく思ったものである。

 これらの出来事は昔に在った出来事であり、ワタシのなかで繰り広げられた心象だ。そしてこれらの事はいつか訪れるであろう終わりの刻まで決して忘れることはない。

未来につなげる実験

 ふぅ~、今日は寒いねぇ。

 血液検査が返ってきた。結果はいたって良好。(鉄分が多いと出ているが......)5年以上もこのただれた生活を送りながらも、そしてその間にまったくチェックしていなかったのに......大したものだと思う。改めて優良な遺伝子を与えてくれた両親に感謝である。
 昨日は3週間ぶりにボスを捕まえた。まさに"ウォリーを探せ"状態なのだが、2時間ほどのディスカッションの末に論文草稿の直しが終わる。たぶんこれは今週中にサブミットできるだろう。バイオだから論文がなかなか出ないと妥協はしたくないので、次のネタもボスに話してある。これはできれば夏前に仕上げたいのだが、ここに来てボスがこれまでのデータを見て上位の雑誌に出してみようかみたいなことを言いだした。それはいいのだが、そういった雑誌はおしなべて審査に時間がかかるのが気がかりだ。

 さて先ほどデラウェア時代のボスからメールが来た。何でもワタシの修士時代の指導教官が、デラウェアに訪れているとか。たしかそんな事を言っていたなぁと思いつつ、添付画像を見るとふっる~い写真がそこに在った。たしかワタシが4年の頃に○工大に来たばかりのころの写真。(今から12年前くらいか?)もう亡くなってしまった当時の指導教官の先生と、今回デラウェアに訪れているヒト、そしてナゾの外人である。実はナゾではないのだが、だれだか記憶に残っていない。デラウェアのボスはその彼の名前を教えてほしいということだったのだが、覚えていることといえばシンガポールから来ていたということだけ。まあ仕方がないので、その旨を伝えた。

 久しぶりに今週末は速度論の実験でもしようかと思う。ネタ探しも兼ねてなのだが、たぶん今、ラボに来ているFくんの将来的な実験の礎になるやつ。そんなワケで今夜は麻婆豆腐の作製は諦めて、滴定実験をしよう。

らぶコメマンガ

 ある外部依頼されたお仕事の期限が迫っており、これが終わればちょっと楽になる。これとは別に先々週から今日まで嫌気下でのタンパク質の精製、そして滴定とやってきたのだが、ここに来てESR(電子スピン共鳴分光)の必要性が出てきた。それで先週末に装置を立ち上げたのだが、コンピュータ(のOS、WindowsNT)が死んだらしく、装置との連携がとれなくなっていた。そんなワケで測定はお預け。たぶん新しいサンプルが必要だから、今週はもう一度、タンパク質精製をし直さなければならないだろうねぇ。


 さて久しぶりのエントリだが、今回はチョイと趣を変えたいと思う。ワタシはマンガが大好きで、子供の頃から数多のマンガを読んでいた。(博士課程の頃を振り返っても、周りにここまでオタクなヤツは居なかったと思う......)そんなオタクっぷりなワケで、先々週にわざわざこの街までご足労いただいたマイミクさんにも......

cooyou: ゴメンねぇ~、わざわざ遠いところから来ていただいて、やっと久しぶりの日本人だってゆーのに......蓋を開けてみればこんなオタ野郎で......
tm: とんでもないっ!ワタシもかなりているんですよ~。たとえば友人に「ガンダムはナゼ、ガンダムって呼ばれているのか知っているかーっ?」とかの質問に答えられて、尊敬されたり......
cooyou & tm: (^ ^;Δ X2

 閑話休題。久しぶりに日本に帰った時のことだ。マンガ喫茶に入ったことはこのブログでもふれたと思う。そこで河下水希の「いちご100%」とゆーマンガを読んだ。集英社の週刊少年ジャンプに連載されていたので、結構有名かもしれないし、ワタシもその存在は知っていた。おもしろいのはこのマンガ、ジャンプ史上でもっとも長いラブコメマンガだそうだ。そしてジャンプで連想されるのはまつもと泉の「きまぐれオレンジ☆ロード」で、これも確か長い連載だったと思うのだが、この「いちご100%」に負けたんだねぇ。



 まずこの「いちご100%」を読んで思い出したのが、上記の「きまぐれオレンジ☆ロード」だ。すでに20年以上昔のマンガなのだが、三角関係やらお色気シーンやらなんかは両者に共通する。まあある種のオマージュなのかなと思ったワケ。「いちご100%」は、初期から中盤のハナシがちょっと冗長すぎて、中だるみの激しい内容であった。(まあこの点は「オレンジ」の方もそうだけど。)ただ「オレンジ」と異なり(個人的にはオレンジの最終回もいいと思うけど)終盤の展開は目を瞠るモノがあった。

 「いちご」では4人のヒロインが登場し、主人公たちとの高校3年間(プラス中学3年生の終盤)の学生生活が描かれている。主人公は映画製作にあこがれており、高校では映画の作れるクラブのある学校に進学したいと思っていた。引っ込み思案の同級生の少女が書いた小説をあるきっかけで主人公が目にすることになり、彼はこの内容に感動するのだ。その後、彼女の才能を彼が評価することで、彼女自身、主人公に心惹かれることとなる。同時期に主人公は友人とのある賭け事で学校のアイドルみたいな少女に告白することとなる。そしてナゼかその学校のアイドルとつきあう事となるのだ。この2人の少女が4大ヒロインの2人であり、主人公を巡る多角関係の一角となるワケだ。まあぶっちゃげ典型的なラブコメなのだが、なんてゆーか、レースに負けた方のヒロインの潔さとゆーか、最後の引き際がカッコ良かったのだね。ここまでしっかり描いた(少年誌での)マンガはなかなか無いと思うよ。もちろん欠点も沢山あったのだが、すべては最後のシーンに集約されると思う。サイコーのマンガだとは言わないケド、良くできているなぁと久しぶりにちょっと感動したのであった。

 あとこれはWikiで知ったのだが、この作者、女性だそうで、連載の間に休載が1回のみだとか。これはジャンプの常連休載者とかに較べれば奇跡に近いと思う。男性読者に媚を売るようなシーンも多々在ったが、それでも終盤のその描写には敬意を表したいね。

カツ丼の日

 今日は血液検査。日本を離れてからはじめての検査なので、すでに6年以上経過している。思えば激しい30代前半だ。アメリカに来たのが2001年の7月でまだ29歳だったのだが、そのあと911の大規模テロや炭疽菌の無差別テロ、アフガン侵攻にさらにイラク戦争である。そんな事を考えていると、マイミク軍団たちが料理をしたいと言ってきた。お題は"カツ丼"だ。

 ワタシもなかなか料理をする方だが、カツ丼など揚げ物を必要とする料理はちょっと躊躇していた。理由は2つ。個人的に多量のサラダオイルを使うのは好きでないこと(後の処理がちょっとね)と、部屋にニオイがつくことだ。まあそれでも今回のソレはひとえにマイミク軍団の熱意によるところが大きい。ちまたでは17日が聖パトリックデイなので、緑色の世界が訪れていたのだが、それに対抗する意味(?)もこめて個人的にその翌日をワールドカツ丼デイとした。(ミクシィのカツ丼コミュにもその日に参加)

 実は17日にモンタナ北方軍が我が街に訪れており、彼女らとともに街に新設された日本食レストランで夕食をともにしたのである。その際に、例のカツ丼談義になりお店の主人にもメニューに出していただくことを承諾していただいた。(事前電話要)まあそんなわけで2007年の聖パトリックデイはカツ丼と非常にかかわり深いイヴェントとなったことは言うまでもない。

 さてさてカツ丼の合成だが、実行部隊はワタシではなくラボで働くFくん。今回のワタシの役割は部屋の提供だ。(一応、キッチンはかたづけた)また飲み物の提供ということで、Ale WorksからグロウラーにIPAをリフィルしてもらったので、準備万端だ。

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タレを合成中トンカツの準備、実は全員、初体験油から出してゆきり後にカット


 今回のトライアルはどちらかと実証実験に近い。我々のスキルの確認のため、まな板のすみっこに豆腐を置き、これを以下に落とさないようにするかが指標となる。トンカツのレシピはFくんがググって来たのだが、豚肉と油を用意していなかったので、それぞれ同じ階のポスドクのM氏とワタシが買い出しにいく。(オリーブオイルはあったのだが、揚げ物にはランニングコストが悪すぎる)油の温度は約160℃にするのだが、料理用温度計もないので、当然わからない。しかしワタシが大分時代に購入した自炊マニュアルによればパン粉を落とした時の挙動でわかるとのこと。それでなんとか温度の感覚は得られたのだが、ワタシはコンロの出力をフルパワーにするのが好きなので、揚げている最中は常にオーバーヒート気味だった。(ググルと2分と書いてあったのだが、明らかにそれより早くにパン粉が焦げ始める)そのあとすぐに油をきって、カットだ。これは時間との戦いである。

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合間をぬってみそ汁合成カツ丼光臨その日の晩餐


 この揚げたてのトンカツを速やかに煮汁と溶き卵で30秒、蓋を閉じて煮る。このカツをご飯の盛った雅などんぶりに載せて、短冊切りののりをトッピングすると、カツ丼光臨である。味はまさにカツ丼であり、スバラシイの一言だ。

 このあとIPAをピッチャーに入れて、カツ丼晩餐となるのだが、このあとは骨肉のモノポリー大会になったことは言うまでもない。
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