久しぶりの更新。意外と忙しいのね。さて昨日はウチの大学の化学科、ファカルティの候補者と昼食をともにした。じつわワタシもココの公募を出したのだが、ヨユーで蹴られたらしい......まあ、候補者の(現時点での)出自を見るとMITやらCalTechやらと堂々たる大学名が散見される。昨日の女性もMITでポスドクをしているとか。学位はJohn's Hopkinsで取り、そのあとHarverdのメディカルスクール、MITと来たらしい。John's Hopkinsには友人が居たので、どこのグループか聞いてみると予想通り、Ken Karlinのグループだった。(講演題目であたりはついていたのだが。)

 この数週間はずっとファカルティ候補者のセミナーが続いているのだが、聴く限りではそんなに素晴らしい研究とゆーわけではないし、麗しい講演とゆーわけでもない。(ま~、ワタシよりはうまいだろうけどね~)嫉妬心ばかりでなく、できるだけ客観的にみた感想だ。昨日の女性と先週、Texas A&Mからきた候補のどちらもワタシの修士及び博士の研究に近い分野だったので興味深かったのだが、では彼らとワタシの違いとはなんなのかとちょっと思ってしまう。もちろん英語力やプロポーザルの問題はあるのかもしれないが、これほど露骨にビッグネームの大学から候補者が集められると、ちょっとげんな~りしてしまうねぇ。

 まあそれはそれだ。ワタシも割り切ってビッグネームの大学でポスドクをすれば良かったわけなのだが(ココを選ぶときミネソタ大からもオファがあったのだが、分野に変化がなかったのよ......)、MSUに来た理由はどーしてもバイオがやりたかったから。こんな子供じみた理由なんだよね~。さっきmixiで博士に進むかどーかのトピックがあがっていてちょっと読んでみたのだが、なかなかどーして厳しいことをおっしゃる人たちがゾロゾロいるわね~。日本の社会(成熟しているんだそーだ)でのドクターに対する一般のひとたちの認識とか、海外のドクターたちの状況との違いとかをご指摘されているワケさ。だからドクターそのものが日本で理解されていないということはないけど(一般の人たちからはそれなりに敬意を払ってもらえるよ)、生きていく上でそれなりの覚悟は必要だろうね。ただこの間、Mポンにも話したが、研究を生業とするならば博士号は運転免許のよーなものだ。修士出で会社で研究関連の仕事を一任されることもあるだろう。ただその研究関連の仕事とアカデミィアの研究とはちょっと違うと思う。どっちが上とかではなくて方向性が違うのだ。それをふまえた上で、お互いを尊重しあうべきだと思う。でもそんな当たり前のことが、齢を経るとわからなくなることもあるんだよね......

 さっきAngewandte(ドイツの学術誌)を眺めていたら、いまから10年以上前、若手の会で知り合った彼の名前が出てた。5年前に会ったときは大分でワタシの後任をしていたのだが、岡崎の分子研に移ったみたい。そこで窒素錯体の研究をして成果を出してきたみたいだ。ちょっとくやしい(  ̄っ ̄)ムゥ