なんだか急に忙しくなってきたので更新が滞ってる。ついでに眠りも浅いので、起きても軽い寝不足感が~(~▽~;)ところでとうとう来月(3月)初頭にシアトルに行くことにした。切れかけているパスポートの更新だ。(そうしないとワタシは就労ビザなので、給与がもらえなくなってしまう。)ここからクルマでだいたい10時間くらい。モンタナとアイダホの州境にあるロッキー山脈を越えるための渓谷(Independence ValleyとかJuly-Forth Valley言っていたな......)はかなり標高が高くてこの時期、よく雪が降っているだとか。それが心配なのだが、だからといってBoiseの方へ南下するルートは時間がかかってしまう~。


 さてここまでワタシの渡米の話を綴ってきたのだが、(元々の)ワタシの英会話のポテンシャルはいかがなモノであったかと思う方も居られるであろう。まずワタシは英会話学校に行ったことが一度もない。(大分で友人に連れられて彼の通っている英会話学校のBBQパーティに参加したことはある。)従ってTOFELやTOEIC、英検4級すら受けたことがないのである。だからリスニングやスピーキングの訓練なんてまったくしたことがない。英語はすべて学校の教育で受けた範囲のみであり、あとは大学院で読みあさった英語の論文といった具合だ。だからかなりワタシの英会話はこの地に順応するまで時間がかかったことと思う。またELI(現地の英語学校)にかようという手段もあったのだが、なんだかあんまり気が進まなかった。そういった意味で金曜夜のバイブル・スタディと日曜の教会でのモーニング・サービスはワタシの会話法の進歩に大きく貢献してくれたのではないであろーか?

 そんな教会での日曜日。モーニング・サービスの後(だいたい1時くらいになる)に月に1回くらいの頻度でランチ・ミニストリーという催しがある。これはモーニング・サービスの後に(主に)外国人を集めてみんなで昼食を摂りながら歓談するというものである。バイブル・スタディの主催者、Jimの家とかでもよく行われるのだが、教会から家を借りているJanisたちもよくホストとしてまわってきていたので、ワタシも参加することがしばしばあった。Jimの家でのランチ・ミニストリーをのぞいて、たいていはインターナショナルな食事会(出てくる食事ね)であったな。

 食事に入る前にまず反省会(?)みたいな議論が行われる。パスターの説教の内容をみんなで反芻するのだ。(たいていパスターは聖書のパラグラフを主題にした説教をする)パスターが選んだパラグラフをまず朗読して、その意味について議論するのだ。ワタシはそれ自体もかなりカルチャーショックだったのだが、すでにこの連日のショック続きで飽和していたよーだ(^ ^;Δ

 さらに食事の前に神様に祈りを捧げる。当時のワタシはそれ自体がなにを行っているのか理解できなかったのだが、まあ日本での(特にワタシの)生活との格差はやはり大きい。ただ米国のおけるこの教会を頂点とするキリスト教のシステムは米国にない歴史という括りの代わりに、国民の礎としてうまく機能しているのだろう。言い換えるならばキリスト教は米国民にとって生活の基盤であり、子供たちの情操教育・躾の場なのだと思う。