昨日、アジアングロッサリーで里芋を手に入れた。ふとその店の流し台を見ると......ゴボウとおぼしき物体が。はたしてその正体はゴボウだったヽ(゚▽゚*)ノシ わぁい♪今日の夕飯は豚汁だ~。


 ちょっと今日はあんまり上品な(いつも上品だろーか......)お話ではないのだが金銭のコトに触れたいと思う。(巷で話題になっているLDショックのことではないのであしからず。)

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 まずワタシは海外で暮らすとゆーことをなめていた。とゆーか、無知過ぎた。ワタシの米国のイメージは毎日の様に銃撃戦が行われている非常に活動的な(?)国で自分の身は自分で守らなければならないとか。現金を持ってうろついている外国人なんて格好の餌食。あっとゆーまに身ぐるみ剥がされてしまうとか。まっ、そんな前時代的な印象を持っていた。そんなこともあり、現金はたったの500ドル(!?)のトラベラーズチェックとあとは日本円で1万円。給与が出るまでの生活はクレジットカードでなんとかしようと思っていたわけなのだが、なんとクレジットカードがナゼかサスペンドされていたのだった。出国前に気がついて良かったけど、改めて当時の自分の脇の甘さを痛感したよ。
 米国、デラウェア州での当初の受け入れ先であるが、University of Delaware(UD)のボスの学生さんが迎えに来てくれるとゆー手はずになっていた。一応、Philadelphiaの国際空港からUDのある街までシャトルサービスがあったのだが、その彼の厚意に甘えることにした。(今にして思えば、それで良かったと思う。ついた当時は全くワタシの英語が通じなかったのだよ_| ̄|○ )彼はJanisといってやはり遠くマレーシアから来ていた留学生であった。しかも彼は日本人と結婚していたので、彼とともに彼の奥さんには大変感謝している。

 出発の朝は予定通り、あわただしかった(^ ^;Δ
 新宿までは母が見送ってくれた。タクシーで行ったのだが、ちょうど成田エクスプレスの時間が迫っていたので、運転手さんが近道をするとかいって、世田谷一家惨殺事件の現場の前を通る。そう、当時はかなり話題になっていた出来事だ。当時はまだ警官がその周辺を警備していたな。
 新宿に着いたとき、ちょっと時間(30分ほど)あったので、携帯の解約(まだしてなかったのかよ)をしようとauショップに立ち寄るも前の客がごねていて、結局断念。これは後に母に託すことにする。さて実際、この次はいつ会えるのか全く不透明の旅立ちである。彼女自身、さぞかしいろいろあったと思う。(ワタシは一人っ子だし、彼女自身も若くないからね。)でも、新宿駅の改札でお別れをいったその姿は気丈だなと思った。
 実は後輩の女の子が見送りに来てくれるとゆーことになっていたのだが、私自身、出発時間ぎりぎりにホームに滑り込んできたので、先にホームにいた彼女の方が焦っていた。でもそんなことを言ってくれた後輩は彼女一人だったので嬉しかったのだが、なんだかあわただしいお別れになってしまったよ(-"-;A ...そんなんでも彼女は餞別に十得ナイフ(?)をくれたのであった。

 成田EXに揺られながら考えていた。この先のこと。まず向こうでの生活の立ち上げ、いやコミュニケーションやら研究かな?それにたぶん米国に行ったら、まずなかなか戻ってこれないだろうし、この年(当時20代最後の年代だった)で日本を離れるとゆーことは、日本でのポジションは無いのかもしれないとゆー予感。研究は好きだけど、周りに認められているとゆーカンジではなかったし。先生方や先輩はどう思っていたのか知る由もないが、後輩や同級はなんとなくそんなカンジだった。あくまで(たぶん)研究に関してね。だからこの渡米は研究生活に関して正念場だという予感はあったワケだ。

 大分を発つ直前にJTBに言われたのは、航空券は向こうの手違いで郵送できないということ。従って当日、空港で受け取ってくれとゆーものだったのだが、ワタシはちょっとコレが不安だった。まあでもフロントに行くとちゃんと発券されていた。大分JTBGJ!!便はノースウエスト12、デトロイト行きの午後4時(日本時間)発であった。さすがのワタシもかなりの余裕を持って来たので、待ち時間がかなりあった。(ワタシは飛行機もギリギリに乗るタイプだったので、よく大分とか伊丹、羽田、名古屋などでターミナルを走ったものだ......)そこで日本で最後の晩餐。大好きなカツ丼を食べることにしたのである。(このさきまともなカツ丼はお目にかかれていない( ̄へ ̄|||))

 さて午後4時、機内。なんだか30分ほど滑走路で待たされたが、ついに離陸だ。(*;д;)ノ~~さよぉなりら~、ニッポン、いつか必ず帰ってくるからな~、と強気に思うも、ちょっと涙ぐんだ自分がいた。